岡田武史という人間の人物像とは
岡田武史監督というと、理論派監督という印象が強いと思うのですが、その人物像とは・・・。
人間としての「岡田武史」について触れてみます。
性格に関しては決して派手ではないです。
「俺のことをよく知っている人は、顔の造り同様に性格も派手ではないことを知ってます」とのことですが、よく知らない私でもそんな印象を受けますね。
しかし、逆境に立たされた場合は「よし!やってやるぞ!」と自分でもかなり強くなれるらしいです。
意外にカッコつける面があり、1度ドン底まで落とされてしまうと、もうこれしかない!と逆に開き直れるそうです。
叩かれないとダメなのかも。。っておっしゃってたぐらいです。
「人間は土壇場になれば強くなる。本当に人間って強いものですよ。でも大体は皆、その前に諦める。でも諦めないで頑張っていたら、人間には底力ってあるものです。」
この指揮官の性格があのジョホールバルの歓喜を生んだのかもしれませんね。
また、体育会系のやり方については、先輩を敬う気持ちなどのついては一定の理解を示しています。
しかし、そういうものを強要されるのは嫌という考えで、 それも暴力的だとか不合理なやり方によって強制されることは、性に合わないそうです。
彼は元々小学校のときは野球少年だったそうですが、そういう不合理なやり方が蔓延していた中学の野球部を見て、サッカーを始めたというエピソードからもそれがよく分かりますね。
岡田武史が掲げる指導理念とは
岡田武史のマリノス監督辞任から代表監督復帰までの空白期間
イビチャ・オシム監督の入院により岡田武史氏が日本代表監督に復帰しました。
昨年8月に横浜Fマリノスの監督を辞任してから今回代表監督に復帰するまで空白期間がありますが、その間、岡田監督はどうされていたのでしょうか?
実は辞任してから次に何をしようかを具体的に考えていなかったらしく、8月から年内の間は、まったく働かなかったそうです。
すると奥さんの機嫌が次第に悪くなってきたそうで、冷蔵庫の中のビールがそれまでエビスだったのが、少し安いのに変わり、今度は娘さんと「発泡酒にするか」などと話したり(笑)
「そろそろこれは働かなくては」となったらしく、「元監督岡田武史」として講演活動を始めました。。
その後、以前から深い関心があったという環境問題だとか難民関係にも積極的に関わりを持っていったそうです。
難民関係では、難民フットサル、カンボジアにおける地雷除去フットサルの支援、電動車椅子サッカーのW杯の支援をされていました。
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コンサドーレ札幌監督時代の岡田武史
日本代表の指揮をとる岡田武史さんは知っていますが、Jリーグのクラブの指揮をとる岡田武史さんのことは あまり知られていないのではないでしょうか?
初めて率いるクラブチームとなったコンサドーレでの岡田監督について少し調べてみました。
コンサドーレは1998年にJ2降格を余儀なくされ、その際クラブが目指した「1年でのJ1復帰」の切り札として招聘したのが、岡田武史元日本代表監督でした。
日本を初のW杯出場に導き、実績と知名度を兼ね備えた監督としてその手腕への期待は、やはりかなり大きいものがあったようです。
しかし、Jリーグクラブでの監督経験が皆無だったことが災いしたのかなかなかチームは軌道に乗ることができません。
また、外国人選手の獲得に失敗したことも響き、結局この年は昇格争いに絡むことすらできず、5位で終了。
さらにJ2降格によるスポンサー収入の減収もあって、累積赤字が30億円を突破、経営状態も泥沼となってしまいました。
就任2年目はクラブは徹底した緊縮財政を断行。
同時に自ら選手獲得に動き、数名の選手を獲得したほか、強力ブラジル人FW・エメルソンが加入。
また、理想を追い求めず、J2を戦う為の戦術の確立に着手し、それを実行できる選手を揃えたこの年のチームは、31勝4敗5分でJ2を制覇。
さらには、好成績によって観客動員数も増加し、初めて単年度黒字を達成。
岡田監督にとって何もかもが良い方向に進んだ年となりました。
再びJ1に戻ってきた岡田体制3年目は、この年のちに得点王に輝くことになるウィルの活躍もあって、一時2位にまで浮上するなど大躍進をみせます。
その後、若干勢いは落ちるも11位でシーズンを終え、クラブ史上初のJ1残留を成し遂げ
1年目以外はきっちり結果を出しているのがあらためて凄いですね。